創業からこれまで、
そして未来へ

大森駅前のとあるビルの一室から始まったディーバの歴史。その黎明期から事業を牽引してきた2人が、創業時の思い出や25年の歩み、次の25年に寄せる想いを語りました。

左:代表取締役社長 森川 徹治、 右:執行役員 山崎 恒

経営に特化した日本発の企業をつくりたい

――2人の出会いのきっかけを教えてください。

山崎 コンサルティングファーム「プライスウォーターハウスコンサルタント株式会社」に私が新卒で入社した時、最初に配属された部署にいたのが森川さんでした。
森川 当時のことは今でもクリアに覚えています。いい意味で「生意気なやつが入ってきたな」という印象だったので。コンサルティング会社ということもあり、頭脳プレーを好むような人たちが多く入ってくるわけですが、その中でもとりわけ光っていてこちらが少し緊張感を持ちながら接するぐらいの物凄いエネルギーを持っていたのが彼でした。ベンチャーに必要なものって、やっぱりエネルギーじゃないですか。エネルギーだけで乗り越えなきゃいけない場面が山ほどある。その観点で言えば、ほかにもいろいろなメンバーがいた中、最も強く「一緒に仕事がしたい」と感じたのが山崎さんだったんです。
山崎 私は新入社員でしたから、あまり後先考えず、目の前のことを一生懸命やるというスタンスで頑張っていただけなんですけどね。
森川 ベンチャーに飛び込むことの不安はなかったの?
山崎 なかったですね。当時はまだ26~27歳ぐらいだったので、失うものは何もないというか、前しか見えないというか。ちょうど当時はSAPが日本でも台頭してきた時代で、日本の技術はどうなのか、また日本人としての誇りというか、そういうことを考えていたタイミングで社長から「経営に特化した日本発の企業をつくりたい」という思いを聞いたので、ただただ”やってやろう”という気持ちでした。

――創業時は大森駅前の雑居ビルだったそうですね。

森川 はい。山崎さん覚えてる? 創業の頃って。
山崎 あんまり覚えてないですね…。
森川 結構忘れてるよね。
山崎 たいしたことないようなことのほうが覚えてますね。例えば、設立当初は受注する度に「お祝い」と称して大森駅前の焼鳥屋で飲み会を開いていたこととか。受注が増えるごとに責任も増えて、それにやりがいを感じながら頑張っていた時期で、僕にとってはその原点が焼鳥屋というイメージです。
森川 本当によく行ったよね。あれは何だったんだろう。飲まずにはやっていられなかったのか。
山崎 でも、愚痴を話したような記憶はまったくないんです。夢を語り合うというか。
森川 よく語ったね。デファクト・スタンダードを取るとか、世界征服とか(笑)。どんな分野でもいいから世界一になるんだって、飲むといつもそんな話をしてた。
山崎 お客様を少しでも増やすということにこだわって、1社1社のお客様に対して一生懸命貢献しようという思いでやってましたね。

森川 確かにお客様の数にはこだわったね。システムだけでなく保守に力を入れてきたのも、売って終わるのではなくお客様と長く付き合っていきたいからだったし。
山崎 個人的には「DIVA LIVE」も非常に思い出深く残っています。お客様総会と位置付けて日ごろの感謝を伝える場であったDIVA LIVEではこれからもお付き合いいただくために我々も頑張るという決意表明の場でした。

圧倒的感謝、モノなくしてディーバなし

森川 こうして振り返ると、まずは何より感謝だね。圧倒的感謝。お客様はもちろん、社内も含め、これまで関わった全ての人たちに感謝したいし、我々に関わりチャンスを与えてくださった人達に対する敬意を強く持っています。実績が少ないうちから「これはすごい。絶対売れるぞ」と推してくれるお客様も多かった。すごくかわいがってもらったよね。
山崎 創業当初は名もないベンチャー企業でしたから、お客様の口コミには本当に助けられました。
森川 100社ぐらいまでは自力じゃなかったと思う。いろんな人たちがかわいがってくれて、いわば「先」を買ってくれた。「今はこれしかできないけれど将来はここまでやる」ということにコミットして、それをお客様が信じてくれた。そういう機会を提供してくれるだけの懐の広さを持ったお客様に恵まれたんだろうね。
山崎 でも、モノは良いという自信だけはありましたよ。
森川 そう。口だけではなかったというか、そこが原点だった。「モノなくしてディーバなし」という、魂としてそこが存在していなかったら、ここまで続かなかっただろうね。

――社長は早くから起業意識を持っていたのでしょうか。

森川 子どもの頃から持っていましたが、起業というよりは、何かモノをつくりたいという感覚でした。仲間たちと何かをつくり、それを世に問いたい。そういう意味での起業には強い想いがありました。ただ、分野的に何かに絞っていたわけではなくて、たまたま仕事の関係で連結会計というものを扱って、そこに集まった仲間との出会いがあって、一気に具現化していったんです。人がいなければ何も実現できませんからね。
一方では、コンピューターというか「情報」というものが好きだったので、情報を何らかの形で経営につなげられないかという漠然とした思いもありました。経営ってなんとなく不透明感があるじゃないですか。それが不透明であればあるほど、企業は信頼を構築しづらくなる。しかし、信頼関係を構築するために人が時間を割いていたのではクリエイティブなものを生み出す時間が減ってしまう。もっとシンプルに経営の透明性を高めていくことができれば、本来やるべきことだけを考えてモノなりサービスなりを生み出していけるし、その時間の比率が大きくなれば大きくなるほど会社は楽しくなる。透明性の向上という絶対的な是があって、そこに「情報」という観点からアプローチできるのではないかと考えたことが、ディーバ創業の発端です。

諦めずにお客様のペインやニーズを追いかけ続けてきた

森川 アバントという持株会社を立ち上げグループ企業化したのも、目的は資金調達ではなく、いわばR&D(※)です。会社を分けた時にどんな問題が起きるのか、そこでどんなガバナンスの課題が生じるのか、それに対してどこからアプローチをしていけばいいのか。それらをシンプルながらも実体験することによって、初めて実践的なソフトウエアができるだろうと考えました。そうしたことを重ね、どうやったら社会に役立つことができるかを模索してきたんです。
 ただ、経営という領域は非常に難しく奥深い。その領域を選んだが故に、いわゆるITベンチャーの25年とは成長のスピードはまったく違いました。ほかのベンチャーが2~3年で経験できることを25年かけてやってきたような感覚です。
山崎 確かににテーマとしては難しいですが、それでも諦めずにお客様のペインやニーズを追いかけ続けてきた自負はあります。何とかお客様の期待に応えたいというその一心で常にやってきましたし、お客様にサービスを提供する過程で自社の組織が大きくなる、その成長を直に体験できたことは、私にとっては非常にありがたいことだったと思います。

(※)R&D …「Research and Development」の略称。自社の事業領域に関する研究や新技術の開発、自社の競争力を高めるために必要な技術調査や技術開発といった活動を行うこと。

どんなに状況が悪くても逃げないことだけは決めていた

――ディーバがここまで発展した理由はどんなところにあると思いますか?

山崎 私が思いつくのは、逃げない姿勢ですね。どんな会社でも発展する過程にはいろいろな課題や難局があると思いますが、それに一つずつ真摯に向き合い、逃げるのではなく少しでも前に進む挑戦を繰り返してきたことが、メンバーの成長、ひいては会社の成長につながったのではないかと思います。
森川 逃げないというのは本当にそうだよね。逃げたくなることはたくさんあったし、お客様にご迷惑をおかけしたこともある。業績が厳しくなって「潰れるかも」と言った時もありました。でも、状況が悪くなっても逃げないことだけは決めていた。なぜかと言えば、これは誰もが言うことかもしれませんが、最後は人だからです。自分のためだけならいくらでも逃げられる。でも、今一緒に頑張っている人、かつて一緒に頑張った人たちの思いをつなぎたい。つなぐのであれば逃げるという選択肢はない。そんな観点でやってきました。
「この人たちと一緒なら逃げずに乗り越えていける」と思わせてもらったことも何度もあります。危機的な気持ちのなかでも、そこに人がいれば、「このひとたちとだったら何とかやれるだろう」と思えるんです。

――そうして25年の歳月を重ねてきた今、会社の規模感は創業当初のイメージと比べていかがでしょうか。

森川 想定よりはかなり小さいですね。少しずつ理想に向かっているとは思いますが、想像以上に時間がかかるというのが偽らざる気持ちです。でも、組織としてここまで生き長らえ、かつ魂も失わず、多少の方向転換はありつつも初志の方向感につながっているということを考えれば、まだまだ伸びていけるのだろうと思っています。
山崎 私も当初は社長がプライベートジェットで海外に乗り込むイメージを持っていたんですけど(笑)、思ったより時間がかかるものだなというのが正直な感想です。でも、無謀な投資や賭けに出るのではなく、事業のバランスを取りながら経営してきたからこそ時間がかかっているのだと思います。それがディーバの特徴であり、安定的に成長してきた最も大きな理由でもあると思います。
森川 ディーバの基本コンセプトは製造業なんです。ソフトウエアというモノを作る製造業。最近はすぐにファイナンスを使ったりして短期間でものすごく成長する事業もありますが、それは製造業とはまるでスピード感が違うんですね。そこに焦りを感じた時期もありましたが、今はまた「製造業でいいじゃないか」と思うようになりました。明確なテーマを持ち、そのテーマに対して自分たちが何を生み出せるのかを考え、言いたいことを言い合いながらそれをつくり、お客様のもとへ持ち込んで、それが報われた時に仲間と一緒に涙を流す。それが製造業の醍醐味ですし、仕事の環境でそういったことが味わえる集団って、やっぱり幸せだと思うんです。

企業価値の向上に役立つために、連結会計からガバナンスの領域へ

――今後のビジョンや事業の取り組みについて教えてください。

森川 連結会計からガバナンス市場への領域の拡大を考えています。連結会計とガバナンスは一見つながらないように見えると思いますが、ガバナンスの強化には対話が必要です。その対話を促すための情報を効率的に整え、可視化し、議論を深めれば、本来看過していた、または「まあいいか」と思っていたところに疑問を持つことにつながっていきます。ガバナンスというとやや広過ぎるかもしれませんが、企業価値の向上に役立つための、また、そういった対話を促すための連結会計というふうに捉えていただけると、我々が思考している方向感をご理解いただきやすいのではないかと思います。
 では、どうやって企業価値の向上に貢献するのか。それが今後のグループ全体としての動き方における非常に重要な論点となるんですが、そこもやはり必要となるのは対話なんです。経営側の人たちが対話に時間を割けるようにならないとクリエイティビティは生まれません。そういったことを支援できるような連結会計の仕組みづくりに貢献することを考えています。
 しかし一方では、対話だけではそれほど大きなインパクトは生まれないのも事実です。経営情報の観点からアプローチできる企業価値の向上において最もインパクトのある領域は、事業の流動性の向上だと私は思っています。事業の流動性が向上していけば、社会としての最適化が進んでいく。そうすれば、一つひとつの会社の競争力においてスケールメリットを出すことができるかもしれない。さらには、優秀な人たちがロックインされず、個人ではなく組織という単位で転職が行われることによって、市場により大きな活力が生まれる可能性もあると思うんです。
 そこで大きなカギとなるのが連結会計の情報です。情報をもとに組織に値段をつけていく。そうしたことに貢献できれば、うちのグループはこのぐらいで売買できるかもしれない、それならあの会社と話をしたらおもしろいんじゃないか、といったコミュニケーションが生まれ、再編が加速するのではないかと思ってます。
山崎 売却したらどれくらい儲かるのかとか、どれくらいの企業価値があるのかということの可視化は、私もずっとイメージしてきたことです。日本の産業構造的にもそういった必要性が高まってきています。私たちのやりたいことと社会のニーズがようやくマッチしつつありますので、今後ぜひ取り組んでいきたいなと思います。
森川 ようやくいろんな材料が整ってきたよね。こんな話、10年前だったらあり得なかったから。今すぐではないにしても、ここから10年ということをテーマにして考えてみると、取り組んでいった先にきっとおもしろいことが待っているんじゃないかと思います。

「修行の25年」から「覚醒の25年」へ

――今後のディーバに対してそれぞれの立場から期待すること、またどんな未来を望んでいるかを教えてください。

山崎 私個人としては、社長の想い、また、これまで関わってくれたすべてのメンバーみんなの意志をきちんとつなげるようにしていきたいと思います。また、メンバーのみんなに対しては、その意志をしっかり受け取り、さらに会社を発展させていってほしいと思います。
森川 ディーバという社名にはいろいろな意味があって、まずは経営情報を歌姫のように魅力あるものにすることで創造的対話を促していくという意味。また「DIVA」を分解すると「Disclosure Information Value added Architecture」となるのですが、開示情報に対して付加価値をつけることで世の中の役に立てるのではないかなという仮説の意味も込められています。25年が経ち、今はその仮説が確信につながってきているフェーズだと感じます。長い時間はかかりましたが、そこをしっかりやり遂げるという思いを捨てずにやってきた。今、いよいよ自分たちの本当の価値を発揮できるタイミングが来た気がするんです。そこを必ず開花させていきたい、させていってほしいというのが、次の時代に向けて私が思うことです。

――最後に、これまでの25年と、これからの25年。それぞれを一言で表現してください!

山崎 これまでの25年は、ホップ・ステップ・ジャンプの「ホップ」だったかなと。今まさにステップを踏み出そうとしているので、その先のジャンプまでちゃんとつながるように次の25年を頑張っていけたらと思います。
森川 これまでは修行の25年。これからは覚醒の25年。ですね。

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