2013.02.20

第166回 急発進、急停車に思うサービス品質【ディーバ哲学】

開発第一本部 カスタマーコミュニケーション部 マネージャー 一瀬 章広

私が毎日利用している通勤電車で最近気になっていることがあります。それは、駅のホームから発進する際や停車する際に、軽度ではありますがちょっとした急発進、急停車に遭遇することがあり、その頻度が昔に比べて多くなってきているというものです。例えば、それは前の電車との間隔が詰まっていてスピードを緩めなければいけない時にも発生することがあり、場合によっては、何か事故や地震でも起きたのだろか?と一瞬心臓がドキっとすることもあります。
逆に、ブレーキを徐々にかけて最後に「そっと」停車してくれる場合もあり、その場合は運転手の方の優しさが伝わってくるような気がして、若干大袈裟もしれませんが直接「ありがとうございます」と運転手の方と握手したいような気持ちになることもあります。 しかし、個人的な主観ではありますが、近年は前者のケースが徐々に増えてきているような気がしています。

おそらく電車の発進や停止には私たちが思う以上に技術的な難しさがあるのだろうと思うのですが、乗っている人の立場に立って丁寧に止まるという意識を持っているかいないかがやはり最も大きな違いなのではないかと感じます。
スムーズに止まる電車では、運転手の方の「丁寧に、そっと」という気持ちが伝わってきますが、どの駅でも軽い急ブレーキのように停車するケースでは、どちらかというと機械的な停車のさせかたを感じ、これでは自動運転と変わらないなと感じますし、果たして人が乗っていると意識されているのか?と疑問に思うことさえあります。

上記はあくまでも私の感じた個人的な印象になりますが、乗っている人の立場に立つということが、共通意識として「普通」のことであると認識されていないと、このようなことが起こるのではないだろうかと(勝手な論理ですが)考えてしまいます。

普通のことを普通として誰もが認識しているときは、ルールや規定など何も決めなくても自然とそれが実行されるのだと思います。が、時代や環境、世代の変化などにより、「普通」の概念というのは徐々に変わることがあるのもまた事実です。
例えば都市部における過密ダイヤにおいては、ダイヤを遵守することがより優先されるかもしれませんし、それもまた必要なことかもしれません。

環境変化に応じて変わるべきものと、変わらずに守り続けるべきものの双方があると思いますが、いつの時代であっても変わらずにあるべきものは、「意識的に」それが普通のことなのだと伝え続けなければいけないものだと思います。極論すればいつでも簡単に風化する可能性があるものではないでしょうか。

DIVAの保守サポートという業務に携わる者として、例えば常にお客様視点で考えるというのは言わずもがなのことであり、当たり前のことでありますが、上記のようなことを考えるにつれ、普通のことこそ、なぜそれが普通なのか、どうしてそうあるべきなのかということを常に考えながら、「意識して」次の世代に伝えなければいけないと強く思います。

どの業界においても事業やサービスを維持し、環境の変化に適応しながらさらに高めていくというのは並大抵のことではないと思います。特に現代は技術革新のサイクルが早く、ハード、ソフト両面の目覚ましい進歩により、ひと昔前では考えられなかったようなスピードで、変化とその変化への対応が求められます。

そういっためまぐるしい変化が起きる時代だからこそ、たまには意識的にゆっくりと、「そっと」立ち止まって、何が普通で重要なのかを振り返り、またそこから「ゆっくりと」走り出すということが必要なのではないかと、急停車、急発進のたびにふと思います。

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