第167回 (B) 「ルチャリブレ(自由な戦い)」に魅せられた日本人【ディーバ哲学】
営業本部 営業部 マネージャー 金子 伸夫
皆さんは、「リチャリブレ」をご存知でしょうか?メキシコのいわゆる「プロレス」です。メキシコでは国民的スポーツであり(国技)、老若男女、皆が楽しんでいます。
日本のプロレス界とも親交が深く、レスラーが両国を行き来し、活躍しています。
そんなルチャリブレに魅せられた、一人の日本人男性が、「選手の試合用マスクを作りたい!」と、何も知らないところから、一人海を渡った話を聞く機会がありました。
これが意外に興味深かったのでご紹介したいと思います。
彼の夢はなんとなくプロレス全盛期の少年時代から始まっていました。しかし、誰しもが幼少時代に抱く憧れのように、いつの間にか何事もなく大人へと成長していきました。
しかし、転機がやってきます。とあることで、人生のどん底に突き落とされ、自殺まで考えたことがあったそうです。そこで、彼は「どうせ死ぬなら、本当にやりたいことをやってやろう」と、自暴自棄からの一大奮起?で、単身何も知らないメキシコへ行くことを決意したそうです。
当時、彼はメキシコに知り合いもいなければ、スペイン語もまるで話せません。語学を勉強しながら、試合会場近くでお土産用のマスクを売っている露店に通い、店主に話しかけ、マスクの作り方を教えてほしいと頼みます。店主は快く引き受け、それから彼は彼の家に通いつめ、マスクを作り、露店で販売するようになります。
そこで、彼は、当日出場予定の選手をリサーチし、その選手のマスクを多く製作したり、また対戦選手同士が顔半分ずつになっているマスクを製作したり、と他のメキシコ人がやらなかった工夫をしたこと、縫製がダントツに丁寧だったことで、一番売れるようになっていったそうです。当たり前のように思える日本人のこまやかさや工夫は、こちらでは、驚きにかわります。
その後、彼は、本来の目的である「試合用」のマスクを選手につくるため、まずは、目当ての選手にいわゆる「出待ち」をして、彼の為に作ったマスクを渡します。そこから、紆余曲折を経て、様々な選手からマスクのオーダーが来るようになっていきました。
そこまでの話もここに書ききれない程。地球の裏側の言葉も気質も違うメキシコという地で、彼は、その風土を受け入れ、入り込みながらも、日本人の優れた点を活かし、この「リチャリブレ」の世界になくてはならない存在となりました。
この話を聞いて感じた点は、ちょっとした工夫でビジネスチャンスを掴むヒントがある・・確かにそれもあります。
しかし最も伝わってきたのは、「考える時間があったらやってみる」ということ。確かに熟考することも、ときには必要ですが、考えることよりも行動すること、行動しながら考えていった彼だからこそ、実現できたのではないかと思います。むしろ、「行動」という言葉ではなく、「その状況に身を置く」といったほうが正しいかもしれません。「行動」という大それたことでなくても、まず、「身を置いてみること」によって、自然と行動していく、人がついてくるのではないでしょうか。
そこまで「やりたい」と奮起することがない、と忙しい毎日の中では思ってしまいますが、ちょっとしたことでも、考えているだけで終わってしまったり・・自分を省みても多々あります。
何か思いついた小さな願望や目標でも、とりあえずそれに近いところに身を置いてみよう、考えたり行動したりするのはその後でも遅くはないのではないか、と、そんな気持ちをもらえた時間でした。
ちなみに彼は、現在、帰国し、食品会社に勤めながら時々マスクを作っています。マスク職人の道だけでなく、現在の日本での生活においても、というより人生において、メキシコに身を置いた日々は財産になっていると語っていました。