2013.10.02

第182回 (A) 「座右の銘」【ディーバ哲学】

取締役財務担当 春日 尚義

皆さんは、どんな座右の銘をお持ちでしょうか。古今東西の偉人達の発言から引用されたものでしょうか。
「思い出に縋って生きる人は、例え見かけがどんなに若くても老人である」
私の場合は、今から30年ほど前に通っていた予備校の最終講義において、当時世界史を担当していたカリスマ講師が述べたこの一言が座右の銘になっています。

受験科目のひとつとして世界史を選択するに至ったのは、私に内在する天の邪鬼の仕業であり、彼の講義を聴くまでは、兎に角、世界史などという科目は教科書や参考書の中身を覚えるだけのものと考えており、他人に教わるような代物ではないと思い込んでいました。
ところが、彼の講義は私の認識が完全に誤ったバイアスであったことを教えてくれました。そもそも私が受講する契機となったのは不純な動機で、受講していた可愛らしい女子学生を見に行くことでした。彼女の横顔が良く見える位置に陣取り、私の中では完璧な体制での受講でした。
講師が教室に入ってくると、私は明らかに他者とは差別化されたその外見に圧倒されました。今でこそ予備校の講師の中には奇抜な格好をして、他者との違いを売り物にしている人が増えており、中にはテレビ出演をして一躍有名人になってしまう人物も存在しますが、当時はどちらかというと外見上地味な講師が多く、スーツにネクタイという出で立ちの講師が圧倒的に多かったと記憶しています。けれども、彼は明らかに違っていました。長髪にサファリルックもどきの上着と、当時としてはどう見ても異質でした。
講義が始まると、いきなりマシンガンの様な早口で史実を並べたて、生徒に寝ている隙など与えなかったどころか、1時間がとても短く感じるほどでした。歴史を複数の軸で立体的に捉えるという見方も、年表に沿って単調な勉強を進めてきた私にとって、目から鱗が落ちるほどの衝撃でした。そして、世界史に限った話ではあるものの、さながらドラえもんの「どこでもドア」や「タイムマシン」の様に、自分の好きな時代に自分の好きなところへ自由に往来する術を身に着けている様に見えました。私はこの日以降、名実共に彼を目当てに受講する様になりました。
受験間近の最終講義において、いつもの様にマシンガン舌鋒で史実を捲し立てた後、講義時間が残り1~2分となったところで、普段とは異なり妙にゆっくりとした口調で述べたのが冒頭の「思い出に縋って生きる人は、例え見かけがどんなに若くても老人である」という一言でした。

30年と言う月日が経過してもその時のことは鮮明に覚えています。恐らく大学受験などは長い人生において一瞬の出来事だから、受験が終了し結果が出たら何時までも余韻に浸っていないで、早いところ気持ちを入れ替え次なる行動を起こしなさい、という主旨のことを彼は受講生達に伝えたかったのではないかと自分なりに推測し、解釈をしています。

年を取ると好むと好まざるに関係なく、経験値は増えて行くので、ふと昔のことを思い出して、「あの頃は良かったな」などと言いたくなることがあります。斯様な時に私は冒頭の一言を思い出すようにしています。

また、ベンチャーである当社に入社してからは「思い出」の替わりに、「成長」や「変化」という言葉を用いて、「成長や変化を拒む人間は、どんなに見かけが若くても老人である」や「成長や変化を拒む企業は、どんなに業歴が浅くても既に衰退期に陥っている」と言い換えることにより、現状に満足することのない様、肝に命じています。

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